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スピードメーターは、ドライブスプロケットの物理的な回転を『スピードメーターケーブル』で物理的に伝達することによって機能しています。 スピードメーターケーブルを物理的に回転させるのですから、相当な力が継続的に加わります。 いつかは切れてしまうものなのです。 2005年5月1日、よりによって北海道ツーリングをしている最中にそれは起きました。 走り出すと『バチッ』という音が聞こえ、走行中でもスピードメーターの指針が0を指し続けています。 ( 当日の日記はhttps://tarsama.hatenadiary.com/entries/2005/05/01/ ) ツーリング自体は、タコメーターを頼りに速度を推定する方法で継続して、騙し騙し東京まで帰ってきました。 東京まで戻ると、すぐに『スピードメーターケーブル』を手配しました。 メーターケーブルの交換はメーターパネル裏からエンジンの脇まで配線するため、全てのカウルを外す必要があるので大掛かりな作業になります。 ケーブルを外してみるとやはり切れており、赤錆が浮いています。 しかし、ケーブルを交換してもメーターの針が動きません。 さらに調べてみると、ドライブスプロケットの回転を取り出しケーブルの回転に変換する『ギアボックス』も壊れていることが判明しました。 ちなみに、このギアボックスの歯が欠ける音が『パチッ』という音の音源と判明しました。 あわてて『ギアボックス』も手配して、交換するとすんなりと直りました。 積算距離計もスピードメーターに連動しているため、故障中に走った距離2674.7kmは常に手で加算しないといけません…
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愛車VFR750F(RC36)も、私が乗り出してから10年。 初期ロットのこの相棒の年齢は15歳で積算10万キロを越え、そろそろあちこちにガタが来る頃です。 2005年3月20日、伊豆半島をぐるっと一周する日帰りツーリングに出かけたときのことでありました。 通常時のライディングポディションからではタンクバッグの死角になって直接は視認出来ず、 南端付近の弓ヶ浜海岸でたまたま前かがみになったときに『あれっ!?』と気がついた次第でありました。 情けない… つい先日に10万キロ目前での車検を重整備と位置付けて いろいろとオーバーホールをしたつもりだったのですが 右フロントフォークからオイルがドロドロと漏れ出しており、 風で飛ばされたフォークオイルがカウルにまでへばりついている為かなりの量と思われます。 車検整備直後であるし、フォークオイル交換もしたので整備後の組み付けミスなのか、帰りにバイク屋によって文句を言いに行きました。 その結果、クレーム扱いということで無償で修理してくれました。 だけど、私がこのバイクを購入してからフロントフォークのオイルシールを変えた記憶がございません。 寿命だった可能性もあります。(もっとも寿命が来ているのだとしたら、バイク屋が警告してくれるとか、車検時に交換してくれたも良いと思うのですが…) ちなみに、3ヵ月後に左側のフロントフォークからオイルが漏れ出してきて、 こちらは自費で修繕をしました。 やはり寿命時期だったようですね。
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2年に一度の大整備イベントである『車検』。
私の場合はコレを良い機会だと捉えて、普段のマイメンテナンスではまかないきれない部分の整備をプロにお願いしています。 愛車VFR750F(RC36)を購入してきてからずっとお世話になっているバイク屋はいつも丁寧な仕事をしてくれるので、多少値段が高くても対価として当然と思っているし、整備のプロとして信頼しています。 2005年の車検、それは15年、10万キロの節目となる年でした。 そこで重整備と位置付けてヘタれそうな部品を予算の許す範囲で交換することにしました。 ところが、古いバイクの宿命、パーツ欠品を起こしていていつ入荷するかわからない…。 ドック入りしてから1ヶ月を過ぎ、ようやくパーツが入荷して整備作業に着手するとの連絡がありました。 そしてようやくドックから出航した愛車を試験走行がてら江ノ島に行くことにしました。 しかしどこからか異音がするし違和感があります。 そして、まじまじとバイクを見ると無残なキズが沢山…! 怒りというか、信頼していた友人に裏切られた気分で凹んでしまいました。 でも、相手は信頼していたバイク店、『きっときちんとした対応をしてくれるはずだ。』と信じて、コチラから冷静に状況を伝えました。 状況を的確に伝えたいので、デジカメで撮影した数枚の写真とともに。 さらに電話で、『弁償を求める』とかそういったつもりはサラサラありません。 ただ『転倒させた事実があったのか』だけを確認したい旨を伝えました。 すると、バイク店側も『倒した事実は無いが新しい傷が付いていて変だなぁ』と思っていたとのこと。 『申し訳ありません』と平謝りを繰り返してきました。 また、店側からも『ココまで長くお付き合いいただいているのにコレで終わりにしたくない。』という言葉も頂きました。 私はそこまでで十分ですといったのですが、店側が何か誠意を見せたいので『せめて脱落したネジだけでも手配させてください。』と言ってきました。 一つ45円のネジ。よく脱落するネジなので私も沢山スペアを持っていたのですが、自宅に送られてきたのは40個ものネジと、トレーナー。 バイクのキズは、乗っていればやがては付く物。あまり気にしないのですが、何だか得をした気分です。 抗議メールを出した日の日記はコチラ… https://tarsama.hatenadiary.com/entries/2005/02/27/ | ||||||||||||||||||||||||||
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ブレーキパッドは使っているうちに摩擦で薄くなってくるので定期的に交換をしなければなりません。
パッドの交換はほぼ毎回自分で行っています。 ブレーキパッドはネジ式のパッドピンによって固定されています。 ただし、常に振動にさらされており、ネジが緩んでしまうと大事故につながるためロックネジでさらに固定する方式となっています。
次に、プロ用の浸透潤滑剤である『WAKO'Sラスペネ』を吹き付けてネジを回してみましたがこれも効果が無くビクともしません。 貫通ドライバーでネジをこれでもかというぐらい叩きまくってもまったく緩みません。 この時点でねじ山がかなりつぶれており、トルクが掛けづらくなってきました。そこで最終手段、つぶれたねじ山でもトルクを掛けられるネジ外し剤を使用して、一気にトルクを掛けまわしましたがビクともしません。 ついに諦めて、バイク屋に持っていくことにしました。前回も同じネジが固着してバイク屋に持っていったところ、すんなりと外してくれたので期待していたのですが診断の結果は外れないとのこと。通常はドリルで壊すしかないのですが、パッドピンは非常に固くドリルの歯が負けてしまうため壊すことも出来ないとの事。結局ブレーキキャリパー全交換となりました。
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ちなみに、もう一つ気を使わなければならない『キルスイッチ』(走行中転倒やアクセルワイヤーが切れたときなど、エンジンを緊急に止める必要があるときに使用するスイッチで、 国内のバイクならば右手側の目立つところにある赤いスイッチのこと。)も、たまにしか使わないと接触不良を起こしエンジンがまったくかからなくなる可能性があります。 こっちは、私の癖でエンジンを止めるときにキースイッチではなく、キルスイッチを使用しているので接触不良には縁がなさそうです。
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2003年のゴールデンウィークに、長期の休み(とはいっても2週間ですけどね。)を取って北海道ツーリングに行ってきました。
向こうではほとんど停止することなくエンジンを回しっぱなしなので発電量が多く、
夜は走らないためにバッテリーの消耗は非常に少なく、ガンガン充電されていきます。 バッテリーが満充電になると、 発電される電力をレギュレーターが熱に変えて消化しなければならないため、 負担がかかってきます。 そのため昼間でもときどきヘッドライトをつけて走行しバッテリーを使うなど 気を使って乗っていました。 (二輪常時点灯法律の施行前のバイクなので発電容量は小さく、 高速走行時でもライト常時点灯だとトントンで400cc時代にバッテリーが上がってしまった経験もあるため、 常時付けっぱなしは精神衛生上よくない。) 雨の東北道を縦断し東京の自宅に着いてエンジンを止めたとき、長時間の走行でのエンジン音の耳鳴りの中から『ピーッ』という音が聞こえてきました。 聞き覚えのあるこの音の音源を探ると、 やはりバッテリー安全弁から少量の硫酸が噴出し始めていました。 前回も同様な経験があるため、 さっそくレギュレーターをサービスマニュアルの故障診断方法に従って、 テスターで回路測定をすると、 まったくデタラメな値を示し、 破壊されていることを示していました。 『ひぇー。自宅まで帰ってこれてよかったー。』と思いました。 北海道の人里はなれた場所でエンジンストップした日にはたまったものではありません。 『バッテリー穴開き事件』の時に原因が不明でレギュレーターも手配していたため、交換部品もすでに手元にあり、 すぐに交換して事なきを得ました。今回からは、レギュレーターの型番が変わり、 大きな放熱板付きの対策部品に変わったため、これで少しは安心できます。 (一説によると、雨天走行でレギュレーターが逝ってしまうことがあるらしい。結局のところ原因は不明です。)
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バイクのバッテリーは容量が小さいため、週に1回程度しか乗らないとすぐに弱ってしまいます。
したがって、バッテリー電圧の管理は大切です。
具体的には、テスターで電圧を測定し、
弱っているようであれば充電器を使って充電します。 普段は、バッテリーを外さずに自作充電器を接続して充電をしていましたが、 電圧は高いところから低いところに流れるため、満充電をするためには回路に18V〜19Vをかけなければなりません。 前回レギュレーターが壊れたときから、 回路への悪影響をなくすためバッテリーを回路から浮かして充電するようにしていました。 そのときは、バッテリーをバイクから取り出して玄関で充電をしました。バッテリーを取り出すと、 下には『ぞうきん』が敷かれていました。なんでだ? こんなものいらない!!と雑巾を捨ててから満充電のバッテリーをセットして、 セオリーどおり、プラス端子をネジ止めをしました。 つづいてマイナス端子を...『バチッ!』と火花が散ります。あれっ?なんでだ? しばらく考えても解らず、『まぁ、最初に端子が接触したときは火花がちってあたりまえだろ』と理解して、 火花を気にせずにマイナス端子をネジ止めしていくことにしました。 ドライバーで『カリカリ』(端子を締める音です。) 『バチッ』、『カリカリッ』 『バチバチッ』すごい量の火花です。 そのうちバッテリー本体から『シュワー』と音を立てて 白煙が上がりだしました。 火花も激しく出ているため爆発の可能性が大です。 ヤバイ!! 超高速でマイナス端子を逆回転させて端子を外しましたが30秒ほど経過していました。 そしてバッテリーを取り出してみると横に穴があき、変形していました。 その後の現場検証の結果、バッテリーの型式を見るとメーカー指定のものより容量が小さな物が入っていて、 小型のバッテリーの背丈を増すために雑巾が使われていました。雑巾を取ってしまったことでバッテリー自体の背丈が低くなり、 プラス端子をネジ止めした際に端子とフレームが接触してボディ全体がプラスの電位になっていて、 そこにマイナス端子を接続したことによりバッテリーをショートさせていたことが判明しました。
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2000年夏の北海道ツーリングの帰りだった。
2000年8月5日、青森の健康ランドで仮眠を取り朝から東北自動車道をひたすら東京へ目指していた。 VFR750F(RC36)の燃料タンクは19リットルで、予備タンク容量は5リットル。 したがって常用タンクは14リットルということになる。 バイクの事がわからない方のために説明すると、一つの燃料タンクの一番下と中程の2箇所から燃料ポンプへつながっている。 この2つの接続口のどちらから燃料を吸いだすのかにより『常用』と『予備』に分かれている。 常用の燃料がなくなっても、 予備タンクに切り替えることにより少しの間だけ走りつづけることが出来るので、 早急にガソリンスタンドに立ち寄ることになる。 パイクは燃料タンクが小さいため、連続走行をするときは給油するタイミングを常に計算しなければならない。 その前提として、燃費は1リットル当り約20kmなので 『14リットル×20km=280km』が無給油航続距離となり、 高速道路のサービスエリアはおおよそ50km毎に設置しているため、理論値で5個所ごとだが、 ぴったり50km毎ではないため安全値を見て 4箇所毎に給油のため停止することが必要となる。 通常はこのレベルでも良いのだが、東京青森間680kmともなると、 もう少し細かいレベルの計算と地図が必要である。 タンクバッグには出発前に給油できるポイントと距離を書いた紙をセットしてあったが、 北海道帰りで疲れていたため、細かい計算をせず 前沢SAで給油後は、4つ先の那須高原SAまで給油しなくてOKだろうと思っていた。 『那須高原SAまで2km』の看板付近で エンジンの不調が感じられた。 燃料がもう底をついていることは燃料計から判っていたので、 燃料コックを切り替え『予備タンク』を使用するようにした。 しかし、『那須高原SAまで1km』の看板付近ではパワーが落ちてきて、エンジン音がおかしくなってきた。 『那須高原SAまで500m』の看板手前でついにエンジンが止まった。 とっさにクラッチを切り惰性走行に入った。 幸運にもサービスエリアが目視できる位置で、かつ下り坂が続いていた。 サービスエリアに惰性で突入すると、脇見もせずまっすぐガソリンスタンドに向かったが、 あと100m程のところで止まりそうになった。 足で地面を叩き、何とかガソリンスタンドに到着して事なきを得た。 後から高速道路ガイドで計算すると、前沢SA〜那須高原SA間の距離は278km。 常用タンクが底をつく計算とピッタリだった... 後日、車検のときバイク屋に『予備タンクがまったく使えなかった』ことを伝えたら重点的に調べてくれて、 『予備タンクに切り替えたときにのみ、 コックからガソリンが漏れていたので、 交換しておきました』とのこと。 あぶねぇなぁ。いままで予備タンク無しでギリギリまで走りこんでいたことになる。
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長野県を横断する国道299号は、
ちょっと前までは国道標高日本一の『麦草峠』がある。 今現在日本一ではないわけは、群馬県の有料道路『志賀草津道路』が無料開放され一般国道に成り下がったためだ。 2001年9月17日人気のない麦草峠で休憩して記念写真をとった後、バイクにまたがろうとしたとき、 カウルが水滴で濡れていることに気がついた。 あれ?雨でもないのに不思議だなぁと思い、 さらに調べるとブレーキフルードのリザーバタンクからフルードがダラダラと垂れている!! VFR750F(RC36)のブレーキは油圧式になっており、油=ブレーキフルードをためておくタンクがある。 ここからフルードが漏れていたのである。通常の平地で漏れないところを考えると、 この場所の標高が高く気圧が低いため圧力の差で噴出していると予想し、 一刻も早く平地へ降りるのが得策と思った。規定量以上漏れてしまうと最悪はブレーキが使えなくなるため緊急事態だった。 さらに、ブレーキフルードは塗装面を犯すため、 手持ちのちり紙でふき取り、さらにリザーバタンクをちり紙で固定した。 とりあえず平地に降りたら直ったのですが、カウルが溶けてつなぎ目がネバーっとしています。 コンビニを見つけて止まり、ウーロン茶で洗い流しました。 原因は、リザーバタンクの中に、漏れ出し防止用のゴム製のキャップがあるのですが、 コレがちゃんと閉まっていなかったからで、 2週間前にフロントタイヤを交換しており、 このときにバイク屋が開けた蓋を閉めなかったせいと思われます。 | ||||||||||||||||||||||||||
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事の始まりは自分で交換した点火プラグだった。 点火プラグをノーマルプラグからプラチナプラグや、イリジウムプラグへ交換すると点火性能が向上するためパワーが上がり、 結果的に燃費が良くなるメリットがあるため、 今までのバイクでは結構まめにプラグ交換を行っていた。 1996年10月13日にVFR750F(RC36)の点火プラグの清掃をした。V型エンジンのため、 フロントバンクはラジエターが邪魔をするのでズラす必要があり、 リアバンクも燃料タンクと干渉するのでタンクを持ち上げて作業しなければならなかった。 交換直後に近くのレストランに食事に行き、帰りにエンジンを始動するも アイドリングせずに止まってしまう。 最初はアイドリングが不調なだけだったため、 アイドリング回転数を調整するつまみをいたずらされたぐらいにしか思っていなかった。 次の週に出かけようと思い、エンジンを始動するもやはりダメ。プラグを確認すると濡れていたため燃料が濃すぎると思った。 先週にアイドリング回転数を高く調整したのを思い出し、元に戻したら症状は治まった。念のため近所を一周しようとすると、 4車線の交差点のど真ん中でエンジンストップ。 いそいそと手押しで脱出!あーっ恥ずかしい。 この時点で入院させることを心に決めたのだが、問題はどうやってバイク屋まで走っていくかだ。 何度かエンジンをかけては現象を確認し、どうやら次のことがわかった。 (1)・エンジン始動直後はとにかく安定しない。また辺りがガソリン臭くなる。 (2)・一度安定しだすと、普通に走れる。 (3)・走った後エンジンを止めてしばらくたつと(1)に戻ってしまう。エンジンを止めなければ良さそうだ。 それがわかればとにかくバイク屋まで急行だ。 バイク屋に到着し、しばらく置いておくと現象が再現した。 そのまま症状を説明し入院させたのだが、調査が難航した。 始めはキャブレターやその他燃料系統の詰まり、 それも正常で次に交換したスパークプラグを元に戻され、 さらにスパークユニット等を疑われたが、2週間ほどたって、 『燃料ポンプ』が原因と判明した。 それもポンプを固定しているネジが緩んでいたため、フレームとの接触が甘く、 ポンプのマイナス側の電気系統が接触/切断を繰り返していた。 このために燃料ポンプ自体が異常加熱をしていて、 いつ火を吹いてもおかしくない状態であったことが判明した。 ポンプが加熱して発火する現象はまれに報告があるらしいが、 ことを重く見たホンダウイング店は、 『このような重大事故につながる事象はホンダの技術部門にフィードバックして、 次の製品に生かす必要がある。この事象を報告したいので、ぜひ協力してもらえないか』と言われた。 結局、元気になって戻って来るまでにさらに2週間ほど研究所に入院することになった。 しかし、原因調査にかかった費用や工賃等はすべてホンダ側で持ってくれるそうで、部品代だけの請求となった。
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新潟県の糸魚川と長野県の松本を結ぶ国道148号線は、豪雪地帯を抜ける山道で、雪崩対策のためほとんどが『スノーシェッド[洞門](右写真)』というコンクリートで覆われている。
ところが道が狭くカーブが急で大型車はかなり通行しづらく、雪崩対策に多額の維持費がかかるため根本的な対策として、長大トンネルで山岳をぶち抜く新道を建設しているところだった。 バイクにとっては旧道のほうが狭く、カーブが多くと走っていて楽しいので走り納めにいっていた。 1997年5月2日、4台の乗用車がハイペースで走っていた後をバイクでぴったりとつけていた。 旧道はもうすぐ廃止されることになっていたので道も悪く、 新道との切り替え工事があちこちで行われていた。 カーブを抜け、工事現場の横をアクセルを開け加速していたとき、 前車の床下からハンドボールほどの岩が!! 車は岩があっても跨いでいけるのでスピードを落とさずにそのまま通り抜けたのだが、 そのせいで岩の発見は50mも余裕がない状態でいきなり路上に現れた形になった。 『うぉぉぉぉぉー!!』俺はフルブレーキで回避行動を行ったが間に合うわけもなく、 瞬時に立ち姿勢をとり体重をすべてステップにかけ重心を低くし衝撃に備えた.... ドカッ.... まるで馬が天を向いたかのようにバイクが跳ね上がったが、前輪がぶつかっただけで後輪は免れたのが幸いし、 バランスを立て直して着地した。 その場で端に寄せ、タイヤを見ても特に異常はなかったのでそのまま走りつづけた。 たまたまその日の昼間にあらかじめバイク屋で悪いところを見てもらって、次の週に12ヶ月点検のため入院することが決まっていたのだが、 入院のためバイク屋にもっていった途端に 『あれっ、オレこんなおおきな不具合を見逃したのか!?』と、 何も申告していないのにホイールの異常を指摘され、 ホイールの修正(早い話が歪んでいるので、強い力をかけて歪を元に戻す作業)が必要ということになってしまった。 いっしょに走っていた友人いわく『あのとき完全に浮いていたぞ...』
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1995年9月2日、この日は早朝から長野県の上高地を目指してツーリングに出発した。 ただし、家を出た時点から、ウインカーの点滅がいやに早いと感じてはいたが、 特にそれをどうとも思わなかった。 国道20号をひたすら西に目指していたが、たまに信号待ちで止まると 『ピーッ』という音が聞こえた。さらに長野県に入っても、 『ピーッ』が続いていたが、他の近くの車から発していると思い込んでいた。 人影の無い乗鞍高原で休憩したときは、さらに大きな『ピーッ』が聞こえる。 まさか、俺か?とおもい耳を当ててみると、自分のバイクからそれは発していた。 発信源を探るとそれはすぐにわかった。バッテリーの安全弁から激しく硫酸が吹き出していた。 バッテリーは過充電され破裂の危険が生じると安全弁が開き、圧力を逃がすようになっている。これが開いていたのだ。 『やばい!!』そう直感してすぐに引き返すことにしたのだが、 時すでに遅しでエンジンストップ。 山奥で、手持ちのPHSでは通話不能。しかたなく狭いトンネル内をダムに向かって歩いていき、 ダムの近くのドライブインで電話帳片手にバイク屋に電話をかけまくるが、どこのバイク屋もレッカーを嫌がる。 最後の最後で1件のバイク屋が引き取りに来てくれる事になった。 原因はレギュレーター破壊。レギュレーターは、発電機からの電力を定電圧化して電気回路に供給する役目なのだが、 壊れて発電機からの過大な電圧がそのままバイクの全電気回路に供給されていて、そして悲鳴をあげたのがバッテリーだった。 バイク用ブーツを履いたまま、 (レッカー代が怖くて特急に乗れないので)鈍行電車で東京まで戻りました。
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